Be Good Boys

ちょっと油でベタついたレコード

ジョージ・カックル(George Cockle)

 始めてアメリカでレコードを買った日のことを、今でも覚えている。1967年、小学6年生の時、僕たち家族は日本からテキサス州のダラスに引っ越し、アメリカの文化を肌で感じた。当時のテキサスではまだ大きなレコード店はなく、レコードは近所の薬局、ドラッグストアに行って買うものだった。薬局と言っても、日本とは違う。当時のアメリカの薬局は薬だけでなく、何でも扱うジェネラルストアだった。つまり何でも屋だ。日本でいえば、ドンキホーテや100円ショップみたいな存在だ。店の中では商品が多すぎて歩きにくかったが、日用品は何でもあった。食料品から、キッチン用品、電化製品、洋服、靴、文房具、お菓子、工具、おもちゃ、そしてレコードまで売っていた。時々は、そこが郵便局にもなっていた。あのタワー・レコードも、もともと薬局だった。とはいっても最初はオーナーの息子の小さなセクションしかなく、あまり売り上げがなかったという。しかしオープンから何年か後には、隣にはレコード専門店を開いたということだ。
 ドラッグストアは、アメリカの田舎ではよく十字路にガソリンスタンドと並ぶようにして建っていた。ほかには何もない。薬局に入ると長いカウンターがあり、そこはソーダファウンテンと呼ばれるダイナーになっていた。ソーダを出す蛇口があり、コーラやミルクシェイク、アイスクリームを出していた。もちろんハンバーガーとフレンチフライ、そしてアメリカンブレックファストの卵焼きとトーストとハッシュブラウンポテトもね。カウンターにはプラスチックの赤いケチャップとマスタードのボトル。塩、こしょう、そしてステンレスのナプキンホルダー。どの店に入ってもこれだけは同じだった。

 そして薬局のワンコーナーではレコードを売っていた。といっても、ひとつの棚に数百枚ほど並んでいるだけだった。そのほとんどが45RPMのシングルドーナル版だ。スリーブはただの白い紙。写真もないが、レーベルには曲名などの情報がすべて載っていた。不思議なのは同じ曲で2種類のドーナル版があることだった。例えばA面が『ヘイ・ジュード』、B面が『レボルーション』のレコードもなぜか2種類あって、ザ・ビートルズのバージョンは70セントぐらい。もうひとつのバージョンは35セントぐらいだったが、これは無名のコピーバンドが演奏していた。しかし完璧なコピーで、その昔60年代に日本によくいたフィリピンバンドみたいだった。よく聴かないとわからないぐらい似ていたから、コピーバンドのバージョンを買っていた友達もたくさんいたほどだ。ただし、何でも売ってるドラッグストアは便利だけど、油っぽいハンバーガーやフレンチフライを作っているせいで、すべての商品がちょっとぬるぬる、ベタベタしている感じがした。
 僕といえば、その薬局にケニー・ロジャース・アンド・ファースト・エディションのデビュー曲、「JUST DROPPED IN TO SEE WHAT CONDITION MY CONDITION WAS IN」を友達と買いに行ったが、当時ヒットしていたので売り切れていた。店ではもちろん視聴できないし、まだロック音楽にあまり詳しくなかった僕は、友達に勧めらるままに、なぜか他の一枚を買った。ブルー・チヤーの「サマータイム・ブルース」だ。友達は似ている曲だと言っていたが、家に帰ってそのレコードをかけたら驚いた。さわやかなケニー・ロジャーズとは大違いで、ブルー・チヤーはハードロックだった。今思うと、なぜ買ってしまったか自分でも説明できないし、その後のブルー・チヤーを好きになったかというとそうともいえないが、僕の大切な思い出となって、心に残っているのは確かだ。今でもアメリカのロッカーには、そのドーナツ版が眠っている。でもどうだろう、まだぬるぬるしているだろうか。匂いが染み付いて、触るとちょっと油っぽい感じがするんだろうか。

ジョージ・カックル(George Cockle)
1956年鎌倉生まれ、音楽マネージメント、音楽制作会社、音楽プロデューサーなど従事し、数々の音楽体験と抜群の記憶力を生かし各種雑誌の音楽コラムを担当し長きにわたり連載を続けている。現在はインターFM「ジャージ・カックルのレイジー・サンデー」のメイン・パーソナリティとして活躍中。

http://www.georgecockle.com/

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