Be Good Boys

MUSIC

人気ラジオDJのジョージ・カックル氏が語る70年代ストーリー。
古き良き時代の想い出とともに、そこで流れていた音楽が蘇る。

  • カリフォルニアでメカニックになる道(PART 1)

    Talk _ George Cockle

    俺が小学生の頃、父はフォルクスワーゲンを乗っていた。そこから俺のメカニックへの道が始まったのかもしれない。小さい頃から、木造のヨットを持っていた父は、俺にいろんな物の直しかたを教えてくれた。その頃、父に言われたことは今でも覚えている。「フォルクスワーゲンという車のいいところは、誰でも簡単に直せることだ。でも大人になって、プロのフォルクスワーゲンのメカニックになった時、その言葉がどんなに甘い言葉かがわかった。 高校を1973年に卒業して、大学に行きながら仕事をしたが、ほんの1年で中退して、世界中を旅した。ブラブラしている生活から落ち着こうと思ったのはインドの2回目の旅のあと。1977年ぐらいだったと思う。カリフォルニアに住み、もう一度大学に行こうと思っていた。そして日本に半年ぐらい住んでから、俺はハワイに寄ってカリフォルニアへ行こうと思っていた。ハワイについた時は、お金もほとんど底を尽き、お財布は空っぽ。ハワイでお金を貯めて、カリフォルニアでフォルクスワーゲンを買おうと思った。なぜカリフォルニア? 親が日本から引っ越したから。なぜ途中でハワイによるか? 理由は当時のハワイでは、日本語も英語も話せる俺みたいなアメリカンスクールの卒業生は、仕事が山ほどある時代だった。ツアーガイド、ゴルフショップ、ホテル、バスの運転手、さまざまな仕事があった。それに友達もたくさんいたから、彼らの家に転がり込もうという企みもあった。

  • ハワイの空港に降りた瞬間は今でも覚えている。降ったばかりの雨に濡れたアスファルトの匂いがした。空も青くて、風が強くふいていた。それまで旅した、ほかの南国とは全然雰囲気が違っていた。なぜかわからないけど、空に向かってのびているたくさんのヤシの木が優しく見えた。知らない国に始めて足を降ろす時の緊張感はなく、何かなじみがある土地に戻ってきた感じがした。もしかしたら、俺はカリフォルニアに行かないでここにいてもいいかもしれないと思ってしまった。サーフィンもできるしね。 仕事は最初何でもいいと思って、俺もちょっとの間だけワイキキにあった日本人相手のゴルフショップで働いた。時々、アメリカ人が間違えて、入ってきたときは、俺は隠れようとしていた。なぜなら、その店は例えば普通なら100ドルで売っているものを、日本人向けに3〜4倍にして売っていたからだ。よくアメリカ人のゴルファー達にそのこと笑いながら言われた。「なんでこんなに高いの?」恥ずかしかったよ。いわゆる、ぼったくりだった。そしてなぜかわからないが、その店に来る日本人客のほとんどが態度のでかい成金ばかりだった。でもそういう人に、高いものを売る方が簡単だった。(笑)俺は一ヶ月ぐらいでやめてしまった。店長に、なぜやめるのかと聞かれた時、こう言った、「ここにいると、俺は日本人が嫌いになってしまうから。」。

  • ハワイには、インドで出会った俺のカナダ人の彼女が、ひと月後にハワイにくるはずだったので、お金を貯めて、彼女とアメリカとカナダを横断して、彼女の地元トロントまでフォルクスワーゲンで行こうと思った。そうすればカナダもアメリカを見えて面白いと思っていた。最初は一人だったので、お金を貯めるためにすごく頑張ったよ。居候、外食なし、食べるものは毎日キャンディーバー一つとゆで卵。観光業界で働く友達が仕事から持って帰ってくるパイナップル。キャンディーバーも、重さを比べて、一番重いスリーマスケティヤースを買っていた。お酒はほとんどなし。最初はこのパイナップルを食べ過ぎて、口の中が口内炎だらけになってしまったこともあった。(笑)次はペディキャブ(自転車つき人力車)の仕事を始めた。(彼女も、ひと月後にハワイに着いて、一緒にドライバーをした。)実はゴルフショップの休憩時間、店が入っていたビルの裏にDUTY FREEショップがあった、そこに並んでいたペディキャブの運転手達と話していた。彼らはみな黄色いタンクトップ着て、ひなたぼっこしているように見えた。そのタンクトップの胸元には観光客が彼らに観光のことを話しにくるように、VISITOR INFORMATIONと書いてあった。裏にはOPEN AIR PEDICAB COMPANYとある。お客さんが現れるとその人を乗せてどこかに行ったが、またすぐに誰も乗せないで帰ってきていた。彼らと話すと報酬は良くて、自由気ままな仕事に感じた。これだったら、太陽の下で仕事ができると思った。やっぱりハワイだしね。最初はゴルフショップとペディキャブを両方やっていたが1週間後には毎日ワイキキの道で、ペディキャブにお客さんを乗せていた。

  • ペディキャブは自分で借りるシステムだった。1日6ドル。距離に対して決まった料金設定はなく、自分で決めていい。ペディキャブ代の6ドルを返せば、手に入ったお金は全部自分のものだ。8ドルのペディキャブもあったが、それはギヤと屋根付き。でもワイキキに坂といった坂はない。あのアラモアナの橋が急なだけだ。それと皆が来ていた黄色いタンクトップもくれた。初めてペディキャブを借り行ったとき、オーナーの二人は夫婦喧嘩をしていた。でも二人とも男だった。俺はデゥーティーフリーの免税店の前を拠点にしていた。デゥーティーフリーから出てくる客はアメリカ人じゃなくて、ほとんど日本人。乗せるなら、日本人の方がアメリカ人よりやせてて軽いからいい。その店から出てくる荷物をいっぱい持っている日本人観光客を狙っていた。乗ってくれる確率が高いからだ。1970年代は日本の観光客にマカデミアナッツのチョコが大人気だったようでで、両手に大きな重い箱の束を持っている人が多かった。すごく楽しい仕事だった。実際一日4時間ぐらいで、100ドルぐらい手に入った。いいバイトだ。5分走ったら最低5ドルになって、その上、チップ。一日100ドルは悪くない。でも俺の彼女はビキニでやっていたのでチップが多くて、一日のギャラは全然多かった。(笑)よく客においしいレストランを紹介してと言われて、案内役にもなった。「今晩、おいしいお店に行きたいんですが、どこか教えてくれますか」と聞かれると、俺はこう答える。「あの店のマヒマヒはすごくおいしいですよ。ステーキもね。」基本的にワイキキのお店はどこでもこの二つはメニューにのっている。 そしたら、「英語できなくても大丈夫ですか?」と聞かれたら、「アー、それはまずいですね」と言うと「じゃあ一緒に来てくれませんか?」そんな日はたくさんおいしいものを食べることができた。

  • 仕事時間はまず朝8時から10時まで。それから海に一番ローカルが入らない暑い昼の時間、ワイキキに2、3時間入ってサーフィンをしていた。海から上がって、もう一度、午後2時から4時ぐらいまで、ペディキャブの仕事をした。すごく楽なパターンにはまり込んでしまっていた。その上に、道でビラを配っていたインドの宗教ハーレクリシュナの信者と仲良くなると、彼らが毎日俺にベジタリアンのランチを届けてくれた。それと、日本人の観光客は食券を持っている人が多かった。日本に帰る前に残った食券をくれて、俺は毎朝ホテルのブッフェを味わった。でもこれは、俺のおしゃべりのおかげで出来なくなってしまった。ほかのドライバー達が同じ手を使うようになって、ある朝食べにいったら、何人のドライバーがブフェで食べていた。それからちょっとしたら、ドライバーはブッフェに入れてくれなくなっていた。1978年のワイキキでは、海岸にあるサーフボードラックをすぐに借りることができた。今みたいに何ヶ月待ちの予約はなかった。でも、取り外しのフィンやパワーコードは付けっぱなしにすると翌日の朝には盗まれてしまったので、フィンは外し、パワーコードは使わないようになってしまった。しかし、こんなハワイの楽な生活は自分をダメにすると思った。ハワイでずっと住むのも良かったけど、何かその時、俺はまだ22歳だったからかも知らないけど、このまま、あまり長くハワイにいると、自分がだめになると思ってしまった。本当に思った。そして貯めたお金を持ってカリフォルニアに向かった。それから何年か後、ハワイの道からペディキャブは消えた。 噂によると、タクシー会社の圧力に負けたようだ。楽しいハワイの文化が消えてしまったようで、寂しかった。余談だが、オレがちょうどハワイにいる間、カントリー・コンフォートのメンバーのひとり、ビリー・カアイが亡くなった。毎日のようにハワイのラジオ局は彼らの曲をかけていた。俺はそれまで、ハワイのバンドはセシリオ・アンド・カポノかカラパナしか知らなかったが、これを機にカントリー・カンフォートを知った。彼らをライブで見ることは出来なかったが、レコードを買った。西海岸の音楽とハワイの伝統的なスラックキーギターを混ぜた、新しいハワイの音楽の世界を刻んでいったのが彼らだった。そのバンドには、自然の海岸を守ろうというメッセージをのせた「WAIMANALO BLUES」という曲がある。それからワイマナロは俺の一番好きな海岸になった。今もハワイへ行くたびに足を運ぶ。CALIFORNIA HERE I COME

    ジョージ カックル

    1956年鎌倉生まれ。音楽マネージメント、音楽制作会社、音楽プロデューサーなど従事し、数々の音楽体験と抜群の記憶力を生かし各種雑誌の音楽コラムを担当し長きにわたり連載を続けている。現在はインターFM「ジョージ・カックルのレイジー・サンデー」のメイン・パーソナリティとして活躍中。

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