Be Good Boys

ボビーに会ったら、よろしくと!
― ボブ・ウィアーの長く不思議な旅 ―

Kenji Muroya


興行記録を塗り替えた夏のGD50th。FareTheeWell Concert (Photo by Chad Smith)

 3、2、1、・・0! カウントダウンから新年の訪れ、と同時に会場の上から舞い降りる無数の風船・・わきあがる大歓声の中 “サンシャイン・デイドリーム、風の吹くところに行こうよ、花々が甘く香るところへ!”とステージの上のバンドは七色のハッピーサウンド炸裂だ!......そう、サンフランシスコやベイエリアに居た人なら知っているよね、グレイトフル・デッドの大晦日ライヴの、あの最高にハッピーな祝祭空間を!

 そのデッドが結成50周年を記念してFareTheeWell ごきげんよろしゅうお別れライヴを7月4日、独立記念日の週末にシカゴで開催!とアナウンスしたから、さあ大変。アメリカはもとより世界中からチケット申し込みの封筒が殺到する中「でも、なんでシカゴよ?」と地元カリフォルニアのファンたちからの抗議の声も殺到。結局、シスコの南、サンタクララのリーヴァイス・スタジアム (SF 49ersの本拠地)での2公演が追加され、オープニングの27th. Juneの会場には「もう、これっきり、これっきりですか?」と涙目で集まった8万人の頭上に、なんと巨大な虹のアーチが!

 「天国のジェリーからの贈り物よ」とファンたちは1995年に他界したデッドのアイコン、精神的支柱、キャプテン・トリップスと呼ばれていたあの最高にハイなギタリストJerry Garcia(ジェリー・ガレシア)のやさしい熊のような笑顔を思い出して、また涙だったとか・・・。

 オバマ大統領はコンサートに先立ちデッド・ファミリーをホワイトハウスに招き、

「フォーク、R&B、カントリー、ジャズを取り込んだきみたちの音楽と、何世代ものファンたちとこの50年に渡り作ってきたシーンは、アメリカ音楽の豊かさのみならず、生きたアメリカ文化の具現そのものだ」と最大級の賛辞を送った。

 こうして2015年夏の デッド・ライヴ狂騒曲は終わってみると、サンタクララ、シカゴ野外スタジアムでの5回のコンサートは21万人の有料入場者、加えてこれまでの記録を大幅にぬりかえるネット配信 (you tubeも初参加) によるPPV (ペイパービュー) 40万組のビュワーが演奏を楽しみ、5,500万ドルという空前の 収益を達成。ちなみに4th. July アメリカ独立記念日のフィナーレはヒット曲「USブルース」の演奏とシンクロして、赤、白、青の デッド・ロゴ・カラーの照明でNYステート・ビルのトップが踊り……デッドがアメリカ帝国をのっとったのか、またはその逆かはともかく……GD50thはライヴ公演史上もっとも成功したイベントとなったのだった。

FareTheeWell Concert

 「驚いちまうよ、僕らがバンドを始めた頃は、成功なんて目標はまったくなかったもの。社会の枠組やルールに縛られずに、僕ら自身のやり方で冒険の旅をしていこう、音楽を通じてみんなと絆を結び、楽しみながらやっていこうって、それだけだったんだ」。そうだ、なんといってもGD50thライヴの最高の立役者だったのは、ベースのPhil Lesh(フィル・レッシュ)、ドラムのBill Kreutzmann(ビル・クルーツマン)、Mickey Hart(ミッキー・ハート)、残存する4人の デッド・オリジナルメンバーの最年少で、リズムギター/熱いヴォーカルで盛り上げたフロントマンのBob Weir(ボブ・ウィアー)。彼が「アイ・ニード・ア・ミラクル」「トラッキン」そして“俺たち、女たちとワインをわかちあおうぜ”と自作の ヒッピー時代のアンセム「ジャック・ストロー」などの曲を歌い始めた時の客席のテンションの上がりようといったらなかった。そうだ、彼に話しを聴こう!

 「僕が十代のヒッピー家出少年の元祖? ハハハ、そうだったかもしれないな、3つも4つも学校を蹴りだされた問題児だったものな。16歳の頃にジェリーと出会い、ジャグバンドをやりはじめ、それからビートルズやストーンズに刺激されてロックバンド。そして、ビートルズのシスコ公演見終わった時、駐車場にサイケカラーの変なスクールバスが停まってたから、乗りこんでみたら、それが作家Kenneth Kesey(ケン・キージー)とヒッピー・コミューン「メリー・プランクスターズ」のトリップバス! 彼らのアシッド・テスト・パーティで演奏したり、16歳には十二分ほどのいろんな体験をしたよ(笑)。それで、ある日朝帰りしたら、“もう、たくさん!"って母親から言われちゃった。僕は養子だったんだけど、養父母は思慮深い、優しい人間になることを教えてくれた素晴らしい人たちだった。家出じゃなくて家だされさ。でもそれからはバンドの仲間が家族になって、サンフランシスコの大きなビクトリア朝の家を借りて、みんなで共同生活しながら、練習したり、バーやクラブ、ストリップ小屋、いろんなところで演奏仕事。何年か経って、ゴールドレコードを持って、ひさびさの里帰りしたら、大喜びしてくれたよ」。

 今では、シスコ観光名所のひとつになっているアシュベリー710番地の家、デッドのコミューンハウス跡は、67年頃にも家出した子供たちを探しにくる親たちを乗せた観光バスの立ち寄りスポットだったとか。

 「僕が住んでた屋根裏部屋にはNeal Cassady(ニール・キャシディ)がよく泊まりにきたよ」。ニールとはあの50年代ビート世代の若者たちの間で大ベストセラーになった、Jack Kerouac(ジャック・ケルアック)の小説「オン・ザ・ロード」の主人公のモデルになった人物だ。「デッドの即興演奏スタイルのもっとも大事な“ RIght TimeにRight Place ”というコンセプトは彼から学んだんだ」。50年代のビート詩人たちを魅了した人物は、60年代、アシッドバスのスーパードライバーとして、先端ヒッピー世代のジェリーやウィアーたちの音楽、生き方に大きな影響を与えていたなんて…。

 「自分たちのやり方でビジネスもしてみようと、レコード会社を作ってみたりしたけれどうまくいかなかった。ならば、バンドで冒険の旅をして楽しむって原点に戻ろう! どうせなら文明の原点の土地に行ってみようってことになって、エジプトに出かけ、満月の夜にピラミッドのもとでコンサートをしたさ。ジプシーバンドみたいに、山の上のシアターやつぶれかけた野球場、アメリカのいろんな所で演奏の旅を続けたよ」。もちろん、デッドの逞しくしたたかなジプシーライフスタイルを取り入れて、彼らの旅公演の場所をくまなく追いかけ、“僕らの行く先々に現れるデッドってバンドは何者?” なんてプリントしたシャツを会場のまわりで売って、チケット代、旅の生活費を稼ぐような人々、デッドヘッズと呼ばれるファンたちが現れたのもこの80年代の頃だ。

 「そりゃジェリーの変幻自在なギタープレイに魅かれる連中は多いけど、僕らはジ・アザー・ワン、もうひとりのギタリスト、ボブ・ウィアーのジェリーとフィルのベースをつなぐ、アンサンブル・プレイの妙に注目していたよ」と当時のホット・グループ、トーキング・ヘッズのジェリー・ハリソン。そんなコメントを伝えた時、バンド1のイケメンだが発言や行動はバンド1控えめな彼の顔がほころんだ。

 「実は20歳の時に、いつまでたってもレベルアップしないから、クビを通告されたんだ。でもそんなの無視してライヴに出続けたよ(笑)。どうしたらいいか考え、ジョン・コルトレーンのピアニストの多様なコードを研究したり、頑張ったよ。ある日、演奏の先が読めて、待ちぶせていたみたいに弾いたら、ジェリーがびっくり顔、それから満面にっこり笑顔……あの時のことは忘れないね。そう、このバンドの長続きの秘訣は、おたがいを驚かせて、飽きずにずっとときめきあってきたことさ!」

 他のどんなロックバンドもしてこなかった、この長い不思議な音の旅をしてきたバンドの魅力に気づき、ラヴコールしてきたのが、人気もギタープレイの実力もベストワンの若手ポップスター、ジョン・メイヤー! 自分のTVショーにボブ・ウィアーを招き、それを切っ掛けに共演を申し出て、病気療養中のフィルを除くメンバーとDead &Company の名でなんと、さらなるライヴ公演ツアーが決定してしまった。先のハロウィンの週末にはニューヨーク屈指のコンサート会場、マディソン・スクエア・ガーデンで満員の聴衆を前に白熱のデビュー。GD50thでリードギターを弾いたフィッシュのトレイ・アナスタシオを上回るという声も出るほど、一体感あるグルーヴで、なんと、サンフランシスコでの伝説の大晦日コンサート復活も含め、21回のアメリカ各地での公演がスタートしている。まったく、なんて不思議な旅が続くのか! 折から、『The Other One: Long Strange Trip of Bob Weir』(NetFlix配給・邦題「ボブウィアの数奇な旅」)というドキュメンタリー映画が今年リリースされ、デッドや彼を知らなかった若い世代の間でも大好評とのこと。カリフォルニア元祖ヒッピー家出少年と仲間たちのまだまだ続く旅から目が離せないよ!


Bob Weir
ヒッピー・コミューン。「メリー・プランクスターズ」のトリップバス
サンフランシスコの観光名所になっている
710 Ashburyのコミューンハウス(1967)
John Mayer(左)参加の新ユニット「Dead&Company」Halloween Concert
Bob Weir(右)、Bill Kreutzmann(中央)

室矢憲治 Kenji Muroya (ムロケン)
東京生まれ、ニューヨーク育ちの作家、詩人、ジャーナリスト。滞米中の少年時代にビートルズのファーストUSツアーやボブ・ディランの“ロック転向”コンサート、ウッドストック・フェスティバルなどアメリカ若者文化の歴史的事件をリアル体験。以後海外の音楽シーンを『ミュージック・マガジン』や植草甚一、片岡義男らと創刊した『宝島(ワンダーランド)』らに紹介。NHK-FM「若いこだま」DJ、フジTV「TVジョッキー」などメディア・パーソナリティとしても活躍。90〜00年代には『SWITCH』『BT』『朝日ジャーナル』誌などにレギュラー寄稿。FM J-WAVEでロバート・ハリスらと立ち上げた「ボヘミアン・カフェ」はポエトリー・リーディング・ブームを巻き起こす。マルチトーク&ライブ・イベント『MUROKEN NOW!』を主催。『ニール・ヤング詩集』『ウッドストックへの道』(小学館)など著訳書多数。(www.muroken.com/

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