紀藤 雅彦
1950年代後半から60年代にかけて、アメリカへ強い憧れを持った多くの若者が、アメリカの地へと足を踏み入れた。今のように旅行会社やパックツアーがあるわけもない。渡米する方法を各々が見つけ出し、本物のアメリカを見てみたいという思いをモチベーションとした、直感的な冒険旅行だった・・・ 続きを読む
ドゥジーモデルワークス代表/ランドスケープクリエーター | 奥川 泰弘
どんな鳥も人間の想像力よりは高く飛べない、と言ったのは寺山修司だった。想像力とは、単純に言ってしまえばイメージする力なのだが、そのイメージは何もないところから立ち上がるわけではない。人間は、何かを見て、聞いて、触って、嗅いで、そこからイメージを膨らませる。その何かが、アメリカやカリフォルニアだった人の一人が、「ドゥジーモデルワークス」代表の奥川泰弘氏である・・・ 続きを読む
テッドインターナショナル 阿出川 輝雄
日本のサーフィン史を綴った記事には必ず、その名前はある。1960年代初頭、憧れだったアメリカに単身で渡り、日本では、まだあまり知られていなかったサーフィンの虜となり、1966年に東京・神田でサーフボードの製造を始めた男、テッド阿出川。ボード作りのノウハウを本場からいち早く持ち帰り、サーフボードメーカーの草分け的存在として・・・ 続きを読む
小林 昭
私はプロフェッショナルを始め、世界中のカメラ通の間ではチョットばかり名が知れたNIKON 一眼レフカメラのブラックボディーです。当時は私の様な黒ボディーは珍しくて、若い頃はこれでもかなりモテたんですよ。笑。・・・ 続きを読む
テッドインターナショナル 阿出川 輝雄 × FLAT4代表 小森 隆
「サーフィン」と「空冷VWビートル」という米国文化をいち早く日本へ持ち帰り、やがて巻き起こる巨大アメリカン・ブームの牽引役としてそれぞれの分野で大きな功績を残した二人。夢追い人としての野心は今なお健在ながら、その二人が築いてきた時代は、ぼくらに大きな夢と刺激を残してくれた。ビジネスとしても大きな業績を残した二人が、ついに対面を果たし、それそれが奔走してきた当時の思い出について語ってもらった。・・・ 続きを読む